3月5日~6日に大阪の国立民族学博物館であったMethodologies in Determining Morphosyntactic Changeという国際シンポに出席した。シンポは一応文法構造の歴史的変化とその再構をテーマとしたものであったが、内容としては結構多様で、一言ではまとめにくい。

個人的に特におもしろかったのはT. Givón (U. of Oregon)とNick Evans (Australian National University)の発表だった。



Givónは新しい本からの話だったが、その話は結構深いところにも触れるものだったのでまた改めて。

Evansの発表のタイトルは:

Insubordination and intersubjective cognition: Morphosyntactic reanalysis and the pragmatics of coordinating mental representations.

この話はsubordinate clauseがmain clauseなしに用いられるようになり、その結果独立したconstructionとして文法化するというプロセス(Evansは’insubordination’と呼ぶ)に関するものだが、興味深いのはこうした変化は結構あちらこちらの言語で見られることだ。日本語でも関係節的表現(~したわけ)や従属接続節(~けど、~のに等)が単独で用いられる構文となる例は多い。Evansはそうしたinsubordinationの形式と機能が通言語的に似通っていることから、通言語的に研究していくと興味深い態ポロジーが見えてくるであろうと提言している。私自身もかつて日本語の「けど」文が従属接続節ではなくなってきている(主に会話において)ことについての論文を書いたこともあり、これは非常にわくわくする発表だった。