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    <title>Nakayama Lab : Blog</title>
    <link>http://nakayama.aacore.jp/blog</link>
    <description>ブログ</description>
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    <category>Weblog</category>
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      <title>Nakayama Lab : Blog</title>
      <link>http://nakayama.aacore.jp/blog</link>
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 <title>ICLDCでの発表</title>
 <link>http://nakayama.aacore.jp/blog?itemid=14</link>
<description><![CDATA[ハワイ大学マノア校で３月１２日～１４日に開催された 1st International Conference on Language Documentation and Conservationで、日本における言語記述・ドキュメンテーション研究を取り巻く環境に関する報告と、研究活性化のための（特に若手を対象とした）研究者コミュニティー作りの取り組みとしてFieldlingの活動について報告してきました。６人でスペシャルセッションをくみ、Fieldling設立を動機づける現状、Fieldlingの理念と枠組み、具体的活動の諸側面に渡って発表しました。私が話したのは、言語記述・ドキュメンテーション研究を取り巻く環境の問題点とそれへの対応策としてのFieldlingの活動の理念に関する部分です。プレゼンの資料と録音は以下からダウンロードできます：

http://scholarspace.manoa.hawaii.edu/handle/10125/5137

【発表の要旨】
日本の言語記述・ドキュメンテーション研究は深刻な問題を抱えている。一方で、研究者養成、研究支援体制が非常に心許なく、そのままではこの先研究活動の発展はおろか継続も危ぶまれる。また、研究の成果の活用という面でも問題が多く（データの再利用が難しいなど）、研究活動が大きな波及効果をもたらすことが期待しにくくなっている。日本の言語記述・ドキュメンテーション研究が抱えるこうした構造的な問題を改善するためのイニシアチブとしてFieldlingが立ち上げられた。Fieldlingは、主として言語記述・ドキュメンテーション研究に関わる若手研究者を対象として、研究交流や共同研究を展開する場を提供し、研究者コミュニティーを育成することを通して、研究の活性化と研究成果資源化の促進を進めることを目的として活動している。]]></description>
 <category>活動日記</category>
<comments>http://nakayama.aacore.jp/blog?itemid=14</comments>
 <pubDate>Mon, 20 Apr 2009 23:02:00 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>民博のシンポ</title>
 <link>http://nakayama.aacore.jp/blog?itemid=12</link>
<description><![CDATA[<p>3月5日～6日に大阪の国立民族学博物館であったMethodologies in Determining Morphosyntactic Changeという国際シンポに出席した。シンポは一応文法構造の歴史的変化とその再構をテーマとしたものであったが、内容としては結構多様で、一言ではまとめにくい。</p>

<p>個人的に特におもしろかったのはT. Givón (U. of Oregon)とNick Evans (Australian National University)の発表だった。</p>
<p>Givónは新しい本からの話だったが、その話は結構深いところにも触れるものだったのでまた改めて。</p>

<p>Evansの発表のタイトルは：</p>
<p>Insubordination and intersubjective cognition: Morphosyntactic reanalysis and the pragmatics of coordinating mental representations.</p>

<p>この話はsubordinate clauseがmain clauseなしに用いられるようになり、その結果独立したconstructionとして文法化するというプロセス(Evansは’insubordination’と呼ぶ）に関するものだが、興味深いのはこうした変化は結構あちらこちらの言語で見られることだ。日本語でも関係節的表現（～したわけ）や従属接続節（～けど、～のに等）が単独で用いられる構文となる例は多い。Evansはそうしたinsubordinationの形式と機能が通言語的に似通っていることから、通言語的に研究していくと興味深い態ポロジーが見えてくるであろうと提言している。私自身もかつて日本語の「けど」文が従属接続節ではなくなってきている（主に会話において）ことについての論文を書いたこともあり、これは非常にわくわくする発表だった。</p>]]></description>
 <category>活動日記</category>
<comments>http://nakayama.aacore.jp/blog?itemid=12</comments>
 <pubDate>Mon, 9 Mar 2009 22:40:34 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>「出口」を意識した情報収集</title>
 <link>http://nakayama.aacore.jp/blog?itemid=9</link>
<description><![CDATA[<p>情報は集めるがなかなか活かせない。そうした「積ん読」情報は活かせないだけでなく、溜まってくると、ただ手のつけようがない山となって、貴重な仕事スペース（物理的スペース＋心理的スペース）にどんと居座り、仕事のじゃまをする。</p>

<p>そんな状況を何とかしたいと思っていたらいい記事を読んだ：</p><a href="http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0702/16/news042.html">ITmedia Biz.ID：集めた情報を「あとで」「確実に」活かす【解決編】</a>
<br/>
<p>情報がうまく活用できずにいる鬱憤の悪影響について端的に指摘されている：</p>
<q>良い情報に出会っても「本当に活用できるだろうか？」という迷いが生まれ、情報の“旬”を逃して腐らせてしまうことが懸念されたり、これまでに溜め込んだ“在庫”が気になったり、目の前にある良い情報に前向きになれなくなるのです。
<br/>さらに、この「迷う」ことそのものも、それなりのエネルギーを消費する活動ですから、ますます新しい情報に向かうモチベーションを低下させてしまいます。</q>
<p/>
<p>いやはや。まさにそのとおり。</p>

<p>その記事の中で活かすための情報収集術の一つとして提案されていたのが、情報の「出口」を用意すると言うこと。つまり、集めるときにその情報をどこでどのように活かすかを意識するというアドバイス。</p>

<p>「情報の出口を意識する」ということは、突き詰めれば、その情報の自分との関わりを明確にすることだ。ある情報をとっておきたいと思うのは、その情報が自分の中の何かにひっかかったからだ。その情報が自分の中の何にどのように引っかかったか、それをはっきりとさせることではじめて情報を自分の中に取り込むことができるだろう。</p>]]></description>
 <category>情報活用術</category>
<comments>http://nakayama.aacore.jp/blog?itemid=9</comments>
 <pubDate>Sun, 15 Feb 2009 12:29:13 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>読んだことを身にする方法</title>
 <link>http://nakayama.aacore.jp/blog?itemid=8</link>
<description><![CDATA[オンラインでもオフラインでも何かを読んでいて自分に響くことがあったら何とか身にしていきたいもの。

しかし，悲しいかな，私はあまり得意じゃないんですよね。
まず読むのが遅い。そして忘れっぽい，というか，しっかり自分の理解のネットワークに組み込まれないと覚えていられず，自分の注意から外れたものはすぐ忘れてしまうんですね（いろいろなトリビアなんかをいっぱい覚えている人はすごいと思います！）。

そんなこともあり，読んだことのみに付け方には関心があるのですが，なかなかためになる記事（<a href="http://vandelaydesign.com/blog/blogging/10-tips-to-retain-more-of-what-you-read-online/">10 Tips to Retain More of What You Read Online | Vandelay Website Design</a>）を見つけました。これはオンラインで読んだものをどうやって身にしていくかについてのヒントですが，その中でもオンラインに限らず使えそうだと思ったものをいくつか拾ってまとめておきます：
１）行動にしてみる
読んだものに何か自分のためになると思ったことがあったら，自分の実際の行動に適用してみる。そうすることで読んだだけの「外の知識，ひとの知識，頭の知識」が自分の個人的な経験と絡んだ「内の知識，私の知識，体の知識」になる。

２）ノートを取る
これはよく言われることですが，ノート（キーポイントやアウトラインのメモ）を取りながら読むことで，ポイントや概念を再確認しながら読み進むことができ，またそこで得た情報を将来再活用するときにも役立つ。

３）目的を意識して概略をつかむ
読んだ内容の概略をつかむことは言うまでもなく重要なのですが，その際に自分が何を目的としてその記事を読んでいるのか，書かれていることが自分がやろうとしていることの何にどのように役立つのか，という知識活用の目的を意識して，その目的を軸にして絞り込んだ概略をつかむ（キーワードやキーフレーズを抜き出し，構造化する）ことが大切。

特に（３）は目的志向の情報収集を促すという意味でも重要である気がします。]]></description>
 <category>情報活用術</category>
<comments>http://nakayama.aacore.jp/blog?itemid=8</comments>
 <pubDate>Sun, 15 Feb 2009 12:22:45 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>私が言語学者になったワケ</title>
 <link>http://nakayama.aacore.jp/blog?itemid=4</link>
<description><![CDATA[<p>私が言語学に足を踏み入れたワケ--といっても，あえてもったいぶって披露するような奇才伝説や感動ストーリーがあるわけではない。特に外国語などに興味があったわけでもない。それどころか，そもそも言語学などはいかにもおもしろくもなさそうだと思っていた。</p><p>それを大きく変えたのは，大学２年の時に取った西江雅之先生の「人類言語学」という授業だった。これがとにかくおもしろかった。西江先生自身の魅力も多分にあるのだが，ことばを使った伝え合いの中で起こること，そしてその不思議が幅広く捉えられていて，毎回かぶりつきで聴いた。その中で，「ことば」という現象がいかに多面的で，我々の社会生活，ひいては我々の存在自身に大きく関わっているかを見ることができた。ことばと自分の存在のあり方のつながり，それが見えたことが言語学に向かって歩み始めたきっかけなんだろうと思う。</p>
<p>そこから，ソシュールにはまり，さらに言語相対論や言語と思考の問題に興味をかき立てられ，ウォーフやサピアなども読んだりしていたら，言語学専攻で研究をする方向に進んでいた。</p>
<p>大学院はアメリカに渡ったが，修士課程の時はいろいろなコースを幅広く取らされ，その中で自分の言語研究の方向性がはっきりしてきた。生成文法を勉強したときだった。コースは厳しいながらもおもしろく，課題のペーパーも割とうまくかけて，それを基に初めての学会発表をしたりもした。しかし，そこではなにかしっくりこないものがあった。人間が見えなかったのだ。言語現象を説明しようとするときに，言語を使う話者や発話が起こる場などが考慮に入ってこないのだ。もともと，人の営みとしてのことば，人の存在のあり方と不可分である言語現象というところから言語に興味を持つに至った私にとって，「人間不在の言語学」はいかにも味気ない気がした。</p>
<p>言語学の醍醐味は，人間言語に見られるシステム性を捉え，さらにそうしたシステムがどうしてそうした形を持つに至ったかを説明していくことにある。システムとしての言語というのは，一つ一つの発話の具体例から抽象されたレベルでの話だ。しかし，そうした抽象的なシステム的側面を考える上でも，言語が，人と人との伝え合い，はたらきかけ合いのなかでおこるダイナミックで人間的な現象であるということを常に見失わずにいたい。言語はどれも独特の癖があり温かい。その癖とぬくもりが何ともいえずいい。</p>]]></description>
 <category>私の言語研究</category>
<comments>http://nakayama.aacore.jp/blog?itemid=4</comments>
 <pubDate>Wed, 6 Feb 2008 13:54:15 +0900</pubDate>
</item>
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